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ハートに響く歌

ハートに響く歌_e0214792_7123775.jpg


幼い頃から、歌うことが好きです。
鼻歌からアカペラから、どこでもいつでもよく歌います。

幼稚園では折り紙は苦手でよく泣いていたけれど、歌と踊りの時間になると自信に満ちあふれて、張り切っていました。
家ではレコードやカセットテープをかけて、母や祖母の前でショーを繰り広げていたし、
小学校、中学校時代は、式の歌や朝会での校歌、合唱コンクールも大好き。
高校ではダンスをやっていましたが、イギリスの大学ではアフリカンゴスペル部で歌っていました。

大学はとにかく文献に追われて多忙だったのですが、友達に誘われて最終学年にゴスペル部に入りました。
毎週の練習も楽しかったし、クリスマスには教会でコンサートにも参加しました。

特に好きだった「This little light of mine」。

先日アンが学校でその歌を習ったといって、懐かしくなりました。
アンの学校では、一部をアレンジして、
「Don't _ my little light out, I'm gonna let it shine」
と、_ のところを、ふーっと、キャンドルを吹き消すような音にして、
歌ったそうです。

アンが歌うとそれはまたとてもオリジナルで、可愛くて。

「ママも大好きな歌なんだよ」
と言って、何度も何度も一緒に歌いました。



This little light of mine
I'm gonnna let it shine.
This little light of mine
I'm gonna let it shine.
This little light of mine
I'm gonnna let it shine, let it shine, let it shine, let it shine, oh yeah


このlightは、自分の中の光を意味しています。

とてもシンプルな歌詞だけれど、深い内容だと思う。

私はなんとなく心がしょぼんとしてしまっている時、この歌を歌うことが多いのでした。

ゴスペルは、誰の心にも響くもの。
歌詞もメロディーも、ハートにそっと触れるものがたくさんあります。

ゴスペルの定番のまたひとつ、「Amazing grace」も好きです。

アンが生まれた時から今もずっと変わらず、アンのおやすみ前にBeが歌うララバイ。
赤ちゃんの頃、BeがAmazing graceを歌うと泣き止んで眠りに落ちていたので、
今だに継続されています。

こんなに短い歌なのに、こんなにも心にずっしりとくるなんて。

私の亡き母もこの歌が大好きで、葬儀の時はこの曲を選んでBGMに流しました。

気がつくと、この歌も、なんとなく心がしんとしている時、
鼻歌として出てくる一曲だったのでした。



ちなみに、ゴスペル部に当時友達だったBeが(無理矢理)途中入会してきた時、ちょっと嫌でした(笑)
だってなんとなく意識しちゃって、思い切り歌えなくなってしまったから。
でも今だに2人で「きよしこの夜」などをハモれるのは、楽しかったりします^^








# by annebmnursery | 2010-11-06 07:18 | Ringa Ringa Roses

家族という。。



私には5つ上の姉がいます。
5歳という差は大きくて、小さい時なんてとにかくいじめられていた記憶ばかり。
遊んだり、話したりはしていたけれど、それぞれの社交や行事をこなすことが中心だったような気がします。
私たちの心が一気に近くなったのは、姉が京都の短大へ行くために家を出てから。
姉と手紙や電話をやりとりするようになったのです。
18歳の姉の京都での独り暮らし生活ぶりは、13歳の私には大人の世界でしたが、京都へ遊びに行くと姉のお気に入りの雑貨屋、喫茶店、パン屋、居酒屋、本屋、そしてもちろんお寺や神社に連れて行ってくれました。
私達はそのくらいの年から親友になって、今に至ります。

Beには2つ上の兄がいて、子供時代から2人独特の世界があり、今でも会うと本当に(クレイジーな)子供同士みたい。
家を出てからそれぞれの道を歩み、家庭を持ったとはいえ、きょうだいというより、気のあう古い友人みたいな関係であり続けています。

家族という。。_e0214792_5183790.jpg


きょうだいだからといって、みな心が通い合うわけではないし、
同じ感性を共有できるわけでもないと思います。

それは家族一連にいえることで、バランスのいい輪をもつ家族もあれば、
顔を合わすだけで荒波が起きる家族もあるのが自然でしょう。

家族なのだから、親子なのだから、きょうだいなのだから、
気が合う方が一見楽だし、幸せかもしれない。
喧嘩になるより、笑い合えた方がいいかもしれない。

でも、それ以上の深いつながりというか、
大切な役目みたいなものが、家族というサークルにはあるような気がします。

家族だから、お互いがお互いを一番よく知っているという左側と、反対の、お互いがお互いを一番本当は知らないという右側に極端に分かれることが多いのではないでしょうか。
いずれにせよ、長年の習慣的な価値判断と、感情が邪魔して、本来の真っ白のその人を見れないことがあるようなこと、ないでしょうか。
家族というカテゴリーがあるため、距離があまりに近くなり過ぎてしまったり、距離が逆にあまりに離れてしまったり。
簡単でいて、難しいのが、家族というもの。

あなたは私の子供なのだから、

あなたは私の親なのだから、

あなたは私のきょうだいで、夫で、妻であるのだから..。

そういう観点が特別であり、厄介でもある。

血のつながりがない友人、他人関係だと、
そこにワンクッション、いい距離感を適度に自然に持てるから、楽だったりします。
入り切らない、入らない、そのやり方とタイミングが、もっと簡単。

でも、だからこそ、家族というのは、
その関係から自分が与えられたテーマというか、
どこかで気がつくべきことを示してくれる、
自分の内側への入り口であるような気がします。

どんなに愛していると思っていても、
どんなに嫌悪していても。

そこにつながりがないわけはなく、
そのつながりの先は、常に自分の中にあると思うのです。




# by annebmnursery | 2010-11-02 06:08 | Twinkle Little Star

ひとつ


時々、「はやく2人が寝る時間になってくれないかな..」と思って始まるような日もあります。

トイレで用を足していると、半泣きになりながら這いつくばってウーがやってきて、
足にすがってくる時、
「1分でいいから独りにさせて」と本気で願ってしまうことも。

幼い子供をもつと、ちょっと放っておいてほしい、独りの時間がもてなくて、
息苦しいことってありませんか。
ひとつ_e0214792_5155671.jpg

子供というのはきっと何歳になっても手がかかるものですが、
年齢とともに少しずつ色々なことができるようになって、
親は少しずつだけ楽になっていく。

面倒をみている自分が早く楽になりたいから、
子供に必要以上の期待とプレッシャーをかけてしまっていたり、
傷つけてしまうこともあります。

自分のお腹の中にいた時のひとつだったつながりなんて、
もうすっかり忘れてしまっている。
わずかでも誰もがきっと、一体同一な感覚があったはずなのに、
今は離れることばかりにフォーカスしてしまう。

子供はちがうんだそうです。

その母胎の中で培う、母親と完全にひとつだった感覚をしっかり持って生まれてくる。

それしか知らないで生まれてくるから、ひとつだということしか知らないから、
母親から離れられない。
離れない、のが自然で、当たり前であるのです。

それを親が「もう何歳なんだから、ひとりでできるでしょう」と突き放してばかりで、ルールで縛り付けてしまうから、
子供は怒るし、混乱するし、反発するのでしょう。

人はみんな嫌でも年齢を重ねていき、
社会は人が外に出ていくようにシステム化、デザインされているものだから、
小さいうちから親が子供の自立心とか独立性、社交性ばかりを養おうとするより、
ただ抱きしめてほしい時に抱きしめてあげることが大切な気がします。

泣きながら足にすがりついてくるウーは、
どうして泣いているのかなど理由があるわけでもなく、
ただ離れたくないだけなのでしょう。

そっと抱き上げて顔を見てあげれば、
もうにっこり、涙など止まるのですから。


アンくらいの年齢になると、その振り子の振りが小さくなります。
5つにもなると、どこかで見切りをつけ、
半分意識的に「そういうものなら仕方ない」という風にわかるようになります。
だから幼稚園や学校へ行き、どんどん外の世界で色々な人と場面に直面しても、
なんとか「仕方ない」風にやりこなすことができるようになる。

でもやっぱり、まだひとつだった時の記憶と甘い感覚が残っていて、
時々遊びなどを通しても、戻りたがります。


毎日ただぎゅっとしてあげることや、
ほっぺを触ってあげること、
キスをしてあげること。

ひとつになる瞬間を、いくつになってもつくっていってあげたいと思います。

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# by annebmnursery | 2010-10-25 06:06 | Twinkle Little Star

はじまりの唄。


子供との暮らしは、日々涙と笑いと、光と影であふれています。

かつて自分もそうだったように、
剥き出しの、思い切りの、最大限の全てで子供達は在るから、
大人になったと信じていただけで、
実はかなり不自由で不器用で盲目になってしまっていた自分には、
時に受け止められないこともあります。

でも、だからこそ、
その時に気がつくことは、感じることはたくさんあって、
もうひとつ目玉がおでこにくっついたように、視野と視界が広がるのです。

子供だから、大人だからと、
その上下関係はもちろん家族としては必要だけれど、
いつもどこか本来個人の、ひとりひとりの深さを見ていたいと私は思います。

このブログは、自分に向けてのメモ帳のようなもの。

えらそうなことを書いているだけ、自分が行動にうつせているかということでもなく、
だからこそ今大切だなと思ったことを、
自分のために忘れないように書いているようなものです。

といっても、どこかで同じように、毎日子供と向き合って暮らしているたくさんの方がいて、
多かれ少なかれ楽しみも疲れも喜びも苦しみもあるでしょうし、
ここでちょっと励まされたり、励ましてもらえたり、
共感し合えたら、それはとても嬉しいことです。


きっとみな、遠いむかしに一度は唄ったことのある唄。
意味もわからずに口にしていた唄を。
子供に戻らなくても、誰しもが本当は、今のままでまだ同じように唄えるはず。
はじまりの唄。_e0214792_32596.jpg






# by annebmnursery | 2010-10-24 03:21 | Twinkle Little Star

Profile


+ Be.... born in February 1978

+ あつこ.... born in January 1979

+ アン.... born in November 2005

+ ウー.... born in June 2009

We live in England.






# by annebmnursery | 2010-10-24 02:59 | Profile

子供との歌、唄、詩。
by annebmnursery

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