プランのない育児プラン

e0214792_753595.jpg


育児本というものを全く読まないので、
世間一般にどんな育児を理想と掲げられていたり、
賞賛されているのか、無知識な私。

たまに出会う本や誰かの言葉で、心に響くものはあって、
それがその瞬間、子供と向き合っている自分のパワーとなったり、
ヒントになったりすることはあります。

でもやっぱり、何でもきっとそうだけど、
育児ってケースバイケースですから、
人それぞれ、子供それぞれかなと思う。

結局「実感」「実践」しかないのかな、と。

子供の心の発育段階などは、年齢で一括りにできるところもあれば、
できないところも多い。
生まれ持った天性のキャラクターや性質と、育っているまわりの環境は、
本当にカテゴリーなんてできないほど、様々であるはずだから。

だから、本当に育児は「それぞれ」であるのが自然なのだと思います。


子供を育てていて、ここ最近私がなんとなく感じているのは、
年齢の節目と共に、親の私も重要に使う部分を変えていっているんだなということです。

5歳になるアンとつきあっていると、5歳って複雑だなと正直感じます。
それはアンの場合だけかもしれないけれど。

人格が成形される直前の偉大なるもがきと葛藤と混乱が、溢れているのが見えるのです。

多分7歳くらいには、人格、つまりこの世の中でやっていかなくてはならない人格が出来上がっていくのではないかな。

8歳前の子供は、物事を大人のように概念的に理解できないそう。

大人は、「今これをしたらあれがもらえないから、じゃあ今ちょっとひかえておこう」とか、
そういう風にロジカルにぱっと計算して、概念化できるのが、
8歳前の子はできないのが自然なんだそうです。
もっと単純というか、ストレートで、「今これをしたい、でももらえない。全くもらえない!悲劇!」というような感性。

大人の1、2、3ではなくて、子供は1から5に飛んでしまうのが自然。
大人の1、2、3は大人のもの。

7、8歳を過ぎるとだんだん大人になっていくのでしょうね。
反抗期ももちろんありながら。


3歳くらいまでは、とにかくハートで育て、
3歳から7歳くらいまでは、それをベースにして、
今度は口(言葉)で育てる感覚が私はあります。
言葉を一番尽くす時のような。
今ハートから直接出る言霊を、しっかり伝えていくことの大切さ。
今しか響かない、まだスポンジの今だからこそ。

それから多分、想像すると、
7歳からおそらく14歳くらいまでは、
それまでのハート、口をベースにして、今度は目を一番使って育てるかんじ。
言うよりよく見てあげること、見守っていてあげること、
ちょっと距離をもって。

14歳から21歳くらいまでは、、
それらをベースにして、耳を使って聴いてあげること。
子供がひとりとして立っていく時に、ちゃんと片耳ではなく、
両耳で本当に聴いてあげれること。
目をつぶっていても、何も言わなくても、聴けること。

21歳からそれ以降は、おそらく、
今までの基礎だけを頼りに、もう何も使わないような楽な感じになれたら、
母親としてそんな風に自分と子供を自信をもっていられたら、いいな。。

私のちょっとした育児のプラン、糧みたいなのは、
そんなところにあって、
今は本当に口、口、口!口が酸っぱくなるくらい。。

でも今しかないと思うから、ガミガミだけではなく、
心から伝えたいことを伝えれる時に伝えておきたいなと感じます。
まだ素直に聴く耳を持ってくれる年ですからね^^




[PR]



# by annebmnursery | 2011-02-05 08:27 | Twinkle Little Star

冬の朝にいる怪獣

e0214792_7555769.jpg

イギリスでは、クリスマスがある冬休みは子供達にとって特別な時間です。

アンの学校も3週間近くお休みでしたが、その間アンとウー、きょうだい仲がぐっと深まりました。

ウーがよろよろと独りで立ち歩きするようになったのも、最近のこと。

二本足で立って歩くというのは、大人の私が感じているより、本当に世界が広がることなのだろうなと思います。

ウーの世界が広がり、人格が広がり、年上のアンに少しずつ近づき、追いついてきたのでしょう。
2人遊び、会話、言葉のないコミュニケーションはもちろんのこと、
ハートの中のお互いの位置みたいなのも、どんどん構築されているのが見えます。

それまで半分どこか別の世界に住んでいたような1歳半のウーが5歳のアンに、こっちの世界で初めてどこか追いついたのかも。


喧嘩だって、アンのウーへの嫌がらせや焼きもちも日々たくさんあるけれど、
朝一番の2人遊びは、完全なる2人のファンタジーワールド。

ウーが先に起きて、私と添寝しているとアンが次に起き、すぐに遊びが始まります。
私とBeはベッドの中で、まだ半分夢の中。
2人は同じ寝室で、カーテンも締めたまま、薄暗いライトの中遊びます。
おもちゃを使ったり、本を開いたり、叫んだり、追いかけっこしたり、布団の上に寝転んだり、
ジャンプしたり。

あまりに騒がしいので、制することもしばしあるけれど、
時にふと気がつくと、私たちは30分も子供達を放って眠ってしまっていた、
なんてことも。

そんな時、「何してたの?」と訊いても、
「遊んでたの」。


早朝の二匹の怪獣の世界には、争いも、もめごとも0に等しく、
暗い冬の朝の空を切り裂く、お日様みたいなピュアなエナジーと、
笑いがあふれています。

そこは「マミー」も「ダディー」も存在しないから、
本当に2人だけの島のよう。

でも、完全に2人っきりだから、だからこそきっと、
円満な空間ができるのだろうなと思います。


冬休みが終わって、新学期の朝、
おっぱいをのみながら添寝しているウーの耳元に、起き抜けのアンがささやきました。

「ウー、今日わたしは学校に行ってくるから、小さいわたしのおもちゃで、ちょっと遊んでもいいからね」

ウーの髪を撫でながら、アンはそう優しく言って、頬にキスをしました。

その仕草は、いつもの怪獣シスターとは全くちがくて、
冬休みのおわりを私も心淋しく、そっと、感じました。





新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
みなさまにとって、実り多い、佳い一年となりますように!

[PR]



# by annebmnursery | 2011-01-09 08:37 | Twinkle Little Star

その瞳を

e0214792_753763.jpg


良い、悪い や
好き、嫌い も
右、左 や
上、下 もないように

自分と 自分以外の全てを隔てるものがないように。

この世に生まれてきたばかりの赤ちゃんの眼が
どこかガラスのように映るのは
まだ 「何」も見ていないから。

「何」かを見始めると同時に人は
形あるものとしての最大限の自由を、
二極端を行ったり来たりしながら
少しずつ失ってしまったり、
自ずとまた見つけたりする旅を続ける。

アンとウーが、初めて眼を開けて、外界を見ていたその光景を、
その瞳を鮮明に覚えています。

その瞳の奥には、言葉で表せない、見えない宇宙がただ広がっているような、
そんな透明度と光がありました。

子供との暮らしを通して、日々初心に戻ることの大切さを感じます。
それは子供に対してだけではなく、もちろん自分に対して、全てに対して。

その瞳が語っていた、言葉なく語っていた物語と哲学と夢と真実をまるごと、
あえて思い起こしてみることで、
また今日という日が、洗い立てのシーツのように真っ白く、
清々しいものになります。



やはり更新が滞ってしまったこのブログ。
それでも今年再開したことで、新たな素敵な出会いも広がりましたし、
また色々なお話ができたこと、嬉しく思っています。
足を運んでくださったみなさん、ありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

みなさんにとって、新年も健やかな1年となりますように。

よいお年をお迎えください。

Wishing you a very happy new year !


[PR]



# by annebmnursery | 2010-12-29 07:43 | Twinkle Little Star

境界線のない会話

e0214792_6144884.jpg

もうすぐ1歳半になるウーですが、言葉が全く出てきません。

成長記録ノートを見返すと、アンは同じ頃には英語も日本語もかなりの単語を口にしていて、「。。あった/ない」なども言っていたらしいのですが、
ウーときたらやたらのんびり。

彼が意味合いをもって口にすることは、今のところ3つ。

んー だー :何か欲しい、食べたい、みたい、行きたい、など、欲求を表す時

バーバー :一般的に、もの。車、鳥、本、りんご、なんでも、これで表現する

ダダ :Be(ダディ)のこと。これだけはちゃんと言えます。

色々と言ってくるし、おもちゃの電話で話したり、本を自分で声を上げて読んだりもしていますが、
全てウー語。

上に上げた3つを使って、言いたいことをニュアンスで表現します。

例えば「音楽が聴きたい」(CDプレーヤーをつけてほしい)と言いたい時、
「んーだー!」と何度も言いながら、プレーヤーを指さして、
身体を振って踊る真似をしてみせて、伝えたりします。

指で示したり、動作で表して、単語はなくてもたいてい何が言いたいか、何を言っているのか、わかります。

「言ってごらん?」と促すのですが、ウーは恥ずかしそうな顔をするか、もしくは知らんぷり。

たまに「ママ」と言うのですが、食べたい時の「まんま」と混同しているみたいですし、
今だに私のことを呼び捨てで、しかもショートバージョンの「あーっ!」と叫ぶこともしばし。


なんでもいつかできるようになるのだから、
今はこの、ジェスチャー付きのシンプルで愛おしいコミュニケーションを愉しみたいなと思います。

[PR]



# by annebmnursery | 2010-12-01 06:16 | Wheels on Bus

イエローサイン


子供は単発的に、心が苦しかったり、悲しかったり、満たされなかったりすると、どこかでイエローサインを出しているものです。

それは身体を通して体調に出てきたり、感情で表していたりします。

壊れているブロックの上に新たなブロックを積んでも、基盤が弱いから全部すぐ崩れてしまうように、内側の一番底で何かが乱れているから、連鎖で色々と乱れていきます。

今までできていたことが、できなくなってしまったり、
何を言っても聴かなくなったりして、
毎日親子喧嘩ばかりになり、家中の空気が淀んでいきます。

子供も辛いけれど、親も辛い日々。

親は、頭で理解したいから、それで安心したいから、
「どうして?」ばかりリピートしてしまって、
結局最後は責めること、目を叛けることで解決しようしてしまいます。

小さな子供は「どうして?」と訊かれても応えようがないから、
こうしてサインを出しているのです。
言葉で説明できるなら、とっくにしている。
説明できないから、遠回しな手段で表現するしかない。
e0214792_6273319.jpg


そんな時、親が感情的になってしまうと、子供はただ傷つきます。
感情的な鬼は、子供の心に深い傷を残すだけ。
そして冷静沈着になってみると、そのサインは自分のものだったことに気がつきます。

大人の世界には、心配すること、考えなくてはならないことがあふれていて、
それが全てを支配してしまうような錯覚に陥りやすいこともあります。
その錯覚の中で過ごしていると、時々大きな落とし穴にはまって、無意識にとんでもないテンション=ストレスをつくってしまいます。
どんなに自分の中でそれを整理して、子供と分けて過ごしていると思っていても、
そのテンションは子供といても伝わります。
言葉の端々に、トーンに、顔つきに、エネルギーに、空気に、全てに伝わっていくので、子供にもダイレクト。
子供は論理的には理解できなくても、大人よりも繊細に人に気を配っているし、空気を読んでいるものです。
だから、お母さん(お父さん)がストレスを感じていると、子供もストレスを受ける。
1歳のウーも、私がイライラしていると異常に愚図るし、5歳のアンは、露骨に我が侭になります。

同じ家にいる親と7つくらい前の小さな子の関係というのは、この世の中の法則みたいなのを、シンプルに、正しく示していると思うのです。
家族は小さな宇宙だと、私は感じます。

言葉などなくても、以心伝心で、鏡のように映してしまう。
子を見れば親がわかるとはまさにそういうことで、
子の在り方は、親の私の在り方を鏡で映しているようなものだと。

自分自身が「よくない」時は、子供も本当に「よくない」。

でもその相互関係に気がつけないから、
悪循環の鎖を切ることができないのです。

自分がネガティヴでいっぱいいっぱいだから、
子供がする全てが待てない、見れない、信じれない。
だから口がすぐ出てしまう。

子供はどんどんハートがしょぼんとしてしまう。
どんどんどんどん 光が小さくなっていく。
満たされないからサインを出す。
それでまた怒られる。
体調を崩す。
身体と精神はひとつだから、どちらか乱れるともう片方も同じように乱れる。

その連鎖を切る鍵は、子ではなくていつも親が握っているのです。

子供は、親の一言、一心ですぐ断ち切れる。
親の愛で、一瞬で暗い悪魔が明るい天使になれる。

親がそこで切らない限り、親から断ち切っていかないかぎり、
それはずっと残って、ただたまっていくものなのです。

親の私が出していたイエローサインを、子供のアンとウーは受け取っていただけなのです。
それを彼らなりに出していただけ。

鎖を切って、また新たな日を迎えると、
同じことの繰り返しだけれど、ちょっとちがいます。

何があっても動じない、その差があるから、
ちゃんと待ってあげれるし、せかさなくてもよくなるし、
言葉に気をつけて教えてあげれるし、
笑顔もエネルギーもわいて出てくるから、
また子供との世界がピンク色に染まります。

親の私のハートが開くから、子供のハートもまた開く。

子供にイライラする時、子供が悪魔に思える時、
子供のハートを感じられない時、

まずは自分を振り返ってみること。

自分から変えてみること。

黄色から赤のサインにいってしまう前に、
しっかりとまず自分をつかまえなくちゃと思う今日です。

e0214792_6211435.jpg



[PR]



# by annebmnursery | 2010-11-19 07:19 | Miss Polly

子供との歌、唄、詩。
by annebmnursery

+ 別ブログはこちらから→

イギリスその日暮らし


+ 過去ブログはこちらから→
ナーサリーソング


All copyrights reserved by annebm

最新の記事

母の歌
at 2011-09-25 03:57
がんばる、おかあさん。
at 2011-08-12 06:23
大きくなったらなになりたい?
at 2011-07-31 21:07
Who do you thi..
at 2011-07-16 06:43
express
at 2011-02-22 06:46

ライフログ

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

画像一覧