母の歌

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アンが2つになった頃、義母さんが昔からのナーサリーライム(童謡)を集めた分厚い本を贈ってくれました。

プレイグループなどで、子供達と何度も聴いて歌って覚えた定番の歌だけではなくて、
初めて耳にするような古い歌や詩もたくさんあるような本です。

この本の歌を全部知っている義母さんが家に遊びにくるたび、一緒に開いて、
歌ってもらったり、みんなで歌ったりすることがあるのですが、
私が一番好きになった歌は、義母さんのお気にいりの歌でもありました。

「Lavender's blue」という、もとはフォークソングだったらしいのですが、
この歌を聴くといつも懐かしいような、ずっと昔から知っていたような気がするのです。

Lavender's blue, dilly dilly,
Lavender's green
When I am king, dilly dilly,
You shall be queen.

(ラベンターはブルー、ラベンダーはグリーン

私が王になるとき あなたは王女になるでしょう)

Who told you so, dilly dilly,
Who told you so?
'Twas my own heart, dilly dilly,
That told me so.

(誰がそう言ったのでしょう、一体誰が?

私のハートがそうおしえてくれたのです)

Call up your friends, dilly dilly,
Set them to work.
Some to the plough, dilly dilly,
Some to the fork.

(大切な友人を呼び集めて、仕事をさせなさい

鋤を持たせたり、くま手を使って)

Some to the hay, dilly dilly,
Some to cut corn
While you and I, dilly dilly,
Keep ourselves warm.

(干し草を刈らせたり、穀物をとらせたりしなさい

私とあなたが寒さに凍えないよう温まっている間に)

Roses are red, dilly dilly,
Violets are blue
Because you love me, dilly dilly,
I will love you.

(薔薇は赤、スミレはブルー

あなたが私を愛してくれるから、私もあなたをずっと愛していくでしょう)

直訳するとこのような内容で、もっと詩が続くらしいのです。

ディリ、ディリという節が可愛らしくて、アンも大好きな歌。

庭のフレンチラベンダーがまた新たに咲き出したので、目にするたび口ずさんでしまいます。

Beいわく、子供の頃、義母さんもよくこの歌をキッチンなどで手を動かしながら歌っていたとのこと。

私の中でも義母さんのことを想うと、いつもこのメロディーが出てくるので、多分ずっとこれから一生心に残っていく歌となるような気がします。

私の亡き母が、アンのためにある日本のオペラシンガーのCDをプレゼントしてくれたことがありました。オペラなので子供用ではないのですが、日本の童謡なども多く入っているCDだったので、よく家で流すことがありました。

中でも私が個人的に好きになって、以来なぜかこの曲を聴く度私の母を思い出すようになった歌は、アイルランド民謡の「庭の千草」でした。


庭の千草も むしのねも
かれて さびしく なりにけり
ああ しらぎく 嗚呼(ああ) 白菊(しらぎく)
ひとり おくれて さきにけり
露(つゆ)にたわむや 菊の花
しもに おごるや きくの花
ああ あわれあわれ ああ 白菊
人のみさおも かくてこそ


どちらの母を思い出す時、なぜか偶然、庭の植物に関連している歌だったのは、
不思議だけれど納得できる感じがするのです。


母親というのは、いつしも、誰にとってもきっと、どこかメランコリーを呼ぶ存在であるのかもしれません。
その人から生まれてきたという事実は、メランコリーを呼び覚ます。

切っても切れない糸でつながれていたのですから。
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# by annebmnursery | 2011-09-25 03:57 | Twinkle Little Star

がんばる、おかあさん。

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子育てはひとそれぞれ。

それぞれの環境と性格があって、やり方、考え方、感じ方、ペースがある。

でもきっと誰しも、母親をやっていると、
「独りになりたい」と切望する瞬間、日が1度はあるはず。

それは、常に何かに追われ続けていることからのフラストレーションから。

思い通りにならないことからのストレスから。

終わりない、先の見えないレースの息切れから。

ただ、自由になりたい渇望から。

身籠る前の、あの軽い身体と時間を、少し夢見る。

そんな贅沢で、でも時に仕方ない望みを、母親ならきっと、誰しも1度はもったことがあると思う。


協力してもらうことに感謝しながら、でも後ろは振り返らずに、
独りになるために、ちょっとだけ時間をもらった。

まずは伸び切った髪を切りに行って、
バスにぼーっとしながら揺られて、店を冷やかして、カフェに入ってまたぼーっとして、
ランチを食べ、コーヒーを飲み、またぼーっと歩いた。

その頃には、十分「フィックス」されていて、
人として、女として、母親として、妻として、また機能できる余裕が出てきた。

でも、この解放感。

久々でなんだか驚いた。

すっかり忘れていた、ひとりの感じ。

着替えやらおむつやら色々とかさばる重いバッグを持つことなく、
バギーを押さずに、手をつながずに、ヒールで早足で歩け、
あれこれ心配したり、あやしたり、気をつかったり、叱ったり、嗜めたりする相手がなく、
見たいものを急かされず、無視せず見れ、
腰や腕を痛めながら、身体を駆使して抱っこしたり、持ったりすることもなく、
汗なんてどっとかくこともなく。

なんなんだ、この解放感。

そんなことを3時間くらいしたら、すっかり治療された。

ふらふら歩いていると、いつもの自分と同じような、おかあさんたちが通り過ぎる。

バギーを押しながら、重い荷物を持ちながら、子供と、子供達のために。

心からエールを彼女たちに送った。
「ほんと、いつもおつかれさまです!」と。



「近くにいるんだけど、もうランチ食べちゃった?」
とBeからメッセージがはいる。

なんで追いかけてくるんだと、半分不満に、でも半分嬉しくてにやけてしまった。

待ち合わせのおもちゃやさんでは、子供達とBeがうるさい店内で騒いでいた。

その空間はもう、私の独りのものではなくて、一気にまた引き戻されるけれど、
なんだかちょっとくすぐったくて、やわらかい。


家に帰って、ふと気がつく。

あれだけ好きなものを色々と見たのに、結局手にして買ったものは子供達のものばかり。
アンの学校用の新しいタイツとか、ウーのTシャツとか、子供達の友達の誕生日プレゼントとか。

かわいい帽子もかぶってみたし、シャドーも試してみたんだけどな。
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# by annebmnursery | 2011-08-12 06:23 | Twinkle Little Star

大きくなったらなになりたい?

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小さい頃から大人にかけて、なりたかったもの。

ケーキ屋さん。
ウェイトレス。
歌手。
バレリーナ。
女優。
漫画家。
小説家。
獣医さん。
通訳家。
ジャーナリスト。
途上国現地で救助、援助にあたる仕事。

少女から20代まで、ずっと「何か」になりたくて、なれなくて、もどかしかった。

それは仕事と呼ばれるもの、もしくはステータス、肩書き。
自分にしかできない、自分だからできるそういう何かが、ずっと欲しかった気がします。

そのリストの中には、「おかあさん」は入ってないくて、
いつか結婚して子供は欲しいとどこかで思っていたけれど、
それはまず上のリストを達成してからと、勝手に決めていた。

それが自分らしい生き方だと思っていたし、「おかあさん」になることなんて
誰だってできるし、いつだってできるし、決して格好がいいことでも、
一番大切なことでもないと思っている、そんな自分があったような気もします。
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文字が並ぶだけのリストをごみ箱に投げる日がきて、
ただの「おかあさん」になってみて、
ずっと探していた居心地のいい服、もしくは場所をやっと見つけたかんじ。

向き、不向き、好き、嫌い、思い込みはきっと誰しもなんでもあるけれど。
母業だってきっとそう。

でも、私は時々、母親としてそれらしい仕事、義務、なんでもいいのだけど、、をやっている瞬間、
ただ本能でいる心地よさを感じることがあります。

そこにはなりたかった、なれなかった、
カタチにならなかった、カタチなどはじめからない域を越えて、ただ自然とふってくるもの。

その波にふと揺られている時、完璧なる「仕事」をして生きている時、
ふと感謝がわいてきます。


それはもちろんずっと続くわけではなく、瞬時のことだから、夢のように消えてしまい、
現実は髪の毛をかきむしりたくなるくらい、育児に追われる大変さを味わいながら。

でも、そんな瞬間があるから、私は今日も「おかあさん」していくのです。
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# by annebmnursery | 2011-07-31 21:07 | Twinkle Little Star

Who do you think you are?

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何様のつもり。

とよく思う。

自分のことを。


怒りの火がついてしまうと、攻撃はマシンガンのように止まらず、
心は手がつけれないほど痛く焼ける。

やっと冷却した自分の心に、ふと、下りてくる最初の言葉はいつも、
「何様のつもりなの」。

口で言うのは簡単。

自分のことを棚におくのも簡単。

私が5歳の時は、そこまで思慮深くいれなかったはず。
完璧なんてなかったはず。
物わかりなんて、なかったはず。

なのに今の私は、何様の大人になったふりをして、
知ったかぶりで攻撃する。

Who do you think you are!

自分で自分にかける言葉。


いつも「ほんの少し」なんだ。

ほんの少し、丸みをもって、優しさをもって、焦らないで、慌てないでいられたら。

5つの娘が小さなメモ帳に描いていた、私へのカードを、どうしてあの時本当に見てあげれなかったのか。

「ママは何が好き?」と訊かれて、「海が好き」という私に、
「Mummy likes beach」と愛らしい小さな絵が描いてくれて、
「はい、これあげる」と渡してくれた。

あの日はとても忙しくて、心はどんどん火傷していたから、
そのなんてかわいい瞬間に、癒されることなんてできなかった。

あとになって、冷却した後、その紙切れが語ることは、言葉になんてできないことばかり。

いつも、ほんの少し。

ほんの少し、の人に、母に、なりたい。

何様でもない、何者でもないところから、いつもあなた達とかわいい瞬間を見つけたい。

+更新滞っていましたが、足を運んで下さった方々ありがとうございます。
これからまたこちらも復活予定です!+

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# by annebmnursery | 2011-07-16 06:43 | Miss Polly

express


表現すること は、子供にとっては自然体であり、
普通であり、自由であり、手段でもあるような気がする。

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それは言葉で、しぐさで、表情で、身体で、
歌で、踊りで、お絵描きで、遊びで、物で、何でも。

表現する。

何かを表す。

その何かはただの感情や思考という域を越えて、
もっと奥深く根付いているものも含めて。

大人になると、そこに躊躇が出てくるから、
自意識過剰で自然でいられなくなって、
そんなことがどうでもよくなるし、逆に避けようとする。

でも人間って本当はいくつになっても、きっとどこかで表現することを待っている気がする。

埋もれていたり、眠っている何かを呼び起こすチャンスや巡り逢いを、
待っている気がする。


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# by annebmnursery | 2011-02-22 06:46 | Twinkle Little Star

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